友愛

友愛訪問日記から
中国帰国者支援・交流センターでは、友愛事業で友愛訪問の実施に各都道府県からの推薦でご協力いただいている友愛協力員の方々がいらっしゃいます。今回はその友愛協力員の方の日頃の友愛訪問の様子を友愛訪問日記というかたちで紹介いたします。

今が一番幸せ!
秋田県 工藤 紀代子
2005年12月26日、友愛訪問第一日目は88年ぶりの大雪の年だった。雪の中にすっぽりと埋まった家の玄関先で、少し緊張した面持ちでKさんが待っていた。
Kさんにとってもこれほどの雪は初めてのことらしい。室内のテレビの画面は中国語が流れ、ストーブは赤々と燃えていて、私の訪問に合わせ火を大きくした感じだった。
無駄なものは何一つ無く、掃除が行き届いている。「寒いね。灯油、高いね」こんな会話から始まる。暖かくなれば消えてしまうだけの雪。この雪のために連日汗を流し腰を痛めながら雪かきをし高い灯油を買って暖を取らなければ越せない冬、雪国の事情がここにはある。けれど、出身地吉林省も寒かったという。十代の頃は豚のエサを運ぶため、長い天秤棒にバケツ二つ50キロ運んだ。「だから背骨が曲がって背丈も縮んだのよ」。ある日曲がって少し張り出している背骨を見て本当に過酷な人生だったのだと実感したものです。
4歳の時、母は養母にKさんを預けて去っていった。「お母さん、お母さん」と泣いているとパンパンと頬をぶたれた。纏足をはいていた養母はとても厳しく、結婚生活も順調にはいかなかったので、子育てと生活に追われ無我夢中で過ごしたという。
今、Kさんが住む家は松林に囲まれ、眼前に田圃がある静かな市営住宅街(30軒ほど)。若い年齢層の家庭が多いこともあり、親しくしている近隣の人はいないようだ。今後は緊急事態を想定し、担当の民生委員、町内会の会長など交えて話し合いをと進めているところだ。
大勢の人のいるところは苦手という。時には私の友人とお邪魔したりしてKさんからおいしい餃子の作り方を教わってご馳走になって帰ることもある。
「年金が安くて生活がたいへんだよ」。2年前、養母が死んで自分が元気なうちに墓参がしたいのだがいつになるかはわからない。それに、心臓の近くに52ミリの動脈瘤があり、破裂したら植物人間になる。爆弾抱えているのと同じだとも。時には膝痛、腰痛が出てくる。病院には離れて暮らす息子のお嫁さんがつれていくときもあるようだが、大概は自宅より最寄りの駅までバス、駅で電車に乗り換え秋田市へ、秋田駅より病院までバスと乗り継いでようやく病院にたどりつく。
ある時は足の裏が痛いという。ノートに魚の目、たこと書いて二人で発音してみる。張り薬を紹介したが、どうも魚の目が出来やすい体質らしい。余程痛いとみえて足をひきずって歩いていたこともあった。検査に行ったついでに医師に相談したらというと、所定の部分しか見ないし、話しても相手にしてくれないとのこと。同じ日本人なのに何か差別されているような感じがあり悲しい。それでも別れ際になって、「Kさん、今、何か不満ありますか?」私が尋ねると、Kさんはいつでも「今が一番幸せ」と答える。友愛電話や訪問を楽しみにしているKさんだ。

自立研修事業
中国帰国者支援交流センター