ゲートボール交流会/千葉松戸市ゲートボール交流会 2005.10
2003.3.30江戸川区 浦安市2003.5.25 江戸川区その後 2003.10.31 2004.6.24台東・江戸川
2005.10千葉県・松戸市

帰国者のための「千葉松戸市ゲートボール交流会」

秋晴れのさわやかな一日、ここ松戸市のゲートボール場では千葉ゲートボールマスターズクラブの指導を受けて初めてのゲートボールを楽しむ中国帰国者と樺太帰国者の姿があった。

中国帰国者支援・交流センターとしては千葉県で三度目の主催となる球技交流だ。
今回も帰国者支援に熱心な地元篤志家から支援の申し出があった。

当日ささやかな開会式には来賓として市会議員や社会教育委員会関係者、日本ゲートボール連合の指導者が駆けつけて励ましの言葉を送った。

やがて始まった練習では3つのグループに分かれ、手取り足取りの丁寧な指導が行われた。
スポーツを介したコミュニケーションは言葉だけに頼らなくてもよいのが嬉しい。身体を動かしていると心もほぐれて、あちこちで笑顔の交流があった。

昼食会を挟んだ「練習試合」では、支援者やセンター関係者も含む混成6チームが競い合い試合の楽しさを味わった。
また閉会式でのアトラクションでは中国帰国者は豊作祈願の田植え歌「ヤンガー」を舞い、樺太帰国者がロシア民謡のカチューシャとモスクワ郊外の夕べを披露した。踊りに飛び入り参加する支援者も現れ終始なごやかな雰囲気だった。

今回のゲートボール交流では1世だけでなく孫世代の参加があったことと、はじめて樺太帰国者(注:)が参加してくれたことで一層意義が深まったように思う。
今後も地域支援者との出会いを大切にしながら、ゲートボールを通じた交流の輪をつなげていければと願う。


支援者の模範フォームに釘付け

お孫さんの打撃練習に思わず力の入る1世


解説つきで支援者の模擬試合を見学

休憩を兼ねた昼食時にはすっかりリラックス


閉会式では表彰と記念品の授与

記念写真。みんな「いい顔」してるんですよ。

注:樺太帰国者とは
  1905年日露戦争後のポーツマス条約でサハリン(旧樺太の北緯50度以南)が日本領となってから、豊富な資源開発を目的に大勢の日本人が移住しました。労働力不足を補うために朝鮮半島からも労働者が多数送り込まれました。

1945年8月ソ連参戦で戦闘状態に入り、混乱の中多くの人が樺太残留をよぎなくされました。
終戦後、集団引き揚げによりたくさんの人々が本土に引き揚げる一方、戦後の混乱の影響で残留せざるをえない人もいました。
その後細々と個別引き揚げが続いていましたが、1998年からは「樺太帰国者」として埼玉県所沢市にある定着促進センターでの受け入れが始まり今日に至っています。



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